起業のきっかけは重度の知的障害を伴う自閉症である4歳上の兄の存在です。兄とは家では当たり前に家族として共に過ごしているけれど、外に出て社会の中で捉えると「障害者」というカテゴライズをされます。
私たちと同じように泣き、笑い、怒り、日々を生きているのに、世間から見ると「障害 = 可哀想」というバイアスがかかってしまう。子どもの頃から感じていたこのような気持ちの悪さを、どうにかして変えていくことはできないか、という想いが私たち双子の中にありました。
社会人になったとき、崇弥は大学時代に出会った恩師 小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズへ入社し、私は地元岩手のゼネコン、タカヤに入社しました。それぞれの舞台で懸命に働くなか、常にお互いに連絡を取り合っていました。ある日、母の薦めで崇弥が花巻にある「るんびにい美術館」を訪れました。そこで受けた衝撃と、私たちの中にあった想いとが結びつき、起業にいたりました。
この資本主義経済の中で、「障害」のイメージを変えるには、営利企業として、アクションを起こすことが重要だと考え、最初から株式会社の形態を選択しました。しかし、「障害」というある種センシティブな領域を扱っていることもあってか、初めの頃は多くの企業に取り合ってもらうことすらできず、門前払いに近い状態にありました。
「障害者の支援団体でしょ」「無料だったら考えるけど」「チャリティーじゃないの」私たちがここまでの軌跡を歩んでこられた大きなきっかけとなったのは、創業期からいくつもチャレンジしてきた様々なビジネスピッチイベントやアクセラレータープログラムです。社会の機運として、日本は欧米や新興国に対してスタートアップに対する投資がまだまだ進んでおらず、コロナ禍もあってか社会・経済にインパクトを与えうる、スタートアップ企業に少しずつ注目が集まっていました。そんな中で、いくつかの大企業が連携を目的としたピッチコンテストを開催しており、片っ端からチャレンジしました。そこでできた縦横のつながりは、今のヘラルボニーを大きく支えてくれています。